12/24,25富士山(吉田口)

ちと最近身辺あれやこれや賑やかに慌ただしく続きまして、久しぶりの更新となりました。

もうもう腰が痛くてジムに行くのも一ヶ月以上サボタージュなへっぽこっぷり。身体もすっかりたるんできました。

 

で、またわかつりくんと山に行ってきました。今回は富士山です。

冬の富士山には学生の頃ほぼの毎年雪上訓練で6合目付近まで上がっていたのですが、今回はようやく頂上を目指して登ってきました。

 

僕らが現役だった頃に「OBの誰それさんが冬の富士山登るんだって」と聞けば、「僕が卒業する頃には登れるようになてるんだろうか、いや難しいだろうな…」みたいなことばかり思ったのだけれど、いざお仕事始めてみると少ない休みでそこそこのインパクトある山っていうのが、あまり見当たらない。

そして、学生の時分「山やってる」と言えば「富士山登ったんですか〜?」と聞かれるのは常。世間一般で富士山以外の日本の山なんてその名前はつゆ知られていないのだから、それはコミュニケーションの回路として至極真っ当であるのだけれど、だけども僕らは非常にもどかしい。

「いやーまだないんですよね(冬に訓練でなら6合目までならあるんですけど…)」

これである。回路切断。

もちろん先方は山に興味があるわけではない。会話を発展させるための、関係を継続させるための社交的なレスポンシビリティにすぎない。僕らとてその好意を無下にする訳にはいかない、だけども、、、登っていないものは登っていないし、登山は山の名前を登るものではないよなあ、と心の片隅に思う。

つまるところ、世間一般においてどうやら富士登山というものはツールとしてその価値があるらしい。山を趣味とする人にもそれぞれだが、対照的に名前にこだわって登る人は存外少ない。行為や出来事を楽しむのが先行するひとは結構いる。

 

ではなぜ登りに行ったのか。そう、僕らは社会に迎合したのだ。富士山に登ったという名前=価値を手に入れるために。

冬であるのは人が少ないからだ。渋滞する山は嫌いだ。

12/24,25であるのはヒマだったからだ。

 

暑がるわかつり氏。ちなみに今山行2日間、会話らしい会話はわかつり氏の兄たるパンジー氏が仕事を辞めるという話ぐらいしか記憶していない。1日目は7合目まで登ってテントを張って18:30には寝る。チキンを焼いた。風は夜の間だけ強かった。

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昼前の吉田沢と月。朝からほとんど風は吹いていない。最高である。

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山頂無風、無人。これはすごい。

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夜は氷点下何度まで下がったかわからないほど寒かったが、日中は概して熱いほど。汗をかかないようにするのに苦慮した。

下山は駆け下りるように。5合目から馬返しまで40分という快速ぶりを見せたわかつり氏であるが、靴擦れを悪化させ、汗だくになり、汗冷えし、たいそうつらそうであった。僕も疲れた。

 

登るか下りるしかないのだから実に単調であった。単調そのものであった。

山頂は広く深く、これは他にはない喜びがあった。登頂に関しては他の山と同じであった。辺りに見渡せる山がないのが寂しいと心に残った。