眼鏡とコンタクトレンズ

大阪に来て業務内容が変わった。

デスクワークは目に悪い。これまではクリアでダイレクトな視界を手に入れられるため、平生は好んでコンタクトレンズを使用していたのだけれど、パソコンと一日中にらめっこするのには大変分が悪く、異動してからみるみる視力が落ちた。

もともとかなり目が悪い方なので、生活に影響が出るとか視力が落ちてショックだとかそういうのはとうに通り過ぎたのだけれど、不健康な現代人を象徴するかのような事態に見舞われた我が身、さすがにまずいと思い、いやいやコンタクトレンズから眼鏡に代えてはや幾数月。

しかし眼鏡はやはりしっくりこない、フレームで縁取った視界はまさに写し絵。目と世界との間に1枚挟まれたレンズは、その厚みと屈曲の分だけ僕を世界から懸け離すようで、現実と表象とを無理矢理切り分けるような抑圧的な違和感を感じずにはいられない。

見ているものはあるがままではなく、像が作るイメージであることを眼鏡をかけ続けるかぎり意識的にさせられる。主観と客観。思考と現実。ああ忌々しき二元論

 

のような考えに高校の時分より囚われ、半ば強迫的に眼鏡を悪しものと思い、コンタクトレンズに依存しているものの、この数ヶ月コンタクトレンズに比べはるかに眼の負担が少ない。びっくりするほど違う。眼の疲れが少ないと身体の疲労の蓄積も少ないのか、残業をしこしこやって遅くに帰宅してもなかなかに余裕を持った部屋生活が送れる。クライミングジムにも意欲的に行ける。

業務中は縁に閉じ込められ鬱屈した思考になりがちなのか、冴えきらないのがややキズではあるが、眼が見えなくなっては敵わぬ。背に腹は代えられぬ。少しは眼鏡を見直そうと思うようになった。