腰椎横突起骨折のあらまし

物を書くことは嫌いではないがいかんせん筆不精で、書く気が起きるのはきまって深夜、書棚から本を抜き取ってパラパラとめくり、それに飽き、暑くも寒くもない気温のなか僅かになびくカーテンの彼岸から幾重にも虫が鳴いているのに気付かされる時だったりする。

 

GWにやらかした腰椎横突起の骨折は案外あっさり治った。幸いすっかり支障がない。

「案外」というというのは今になってそう思うようになっただけで、骨折してから20日ほどは随分しんどい経験をした。

はじめに診てもらった医者からは平凡なコルセットをまかれ「1週間ほど痛いけど、激しい運動はしないでね。骨はくっつかないことがあるけど、くっつかなくても生活に支障はないから」と、その時まさに自分の体の内で起きている雷を落とされたような激痛に照らし合わせると拍子抜けする処置を施された。折れた骨が神経に触って炎症を起こしているはずで、姿勢を変えたタイミングで炸裂するこの痛みには思わず声を上げてしまう。そうでもしないと気を紛らわせられないのだが、こんなあっさりとした診察で大丈夫なのだろうか。

堪らず「あの、これ出勤とかしていいんですか? 入院とかになるんですかね…?」と聞けば、「え?入院? したければいいけど(そんな必要ないでしょ)」と言い渡され、激痛に顔を歪ませながら診察室を後にした。病院に手配してもらったタクシーの運ちゃんとの会話すら文字通り神経に障るので、訝しげな顔をされてるのがわかっても少しも弁明する余裕がなく、ひたすら悶絶しながら家に帰った。

それから1週間、痛みは少しも引かなかった。特に就寝時・起床時はいわゆる腰を曲げて布団に入る・出るという動作が全くできないので、数分間どうにか痛みが出なさそうな体勢を探り、腕や膝を巧みに使い横になろうとする、が結局腰に負荷がかかることは避けられず罵声に近い叫び声をあげる日々。会社へは杖を突き、歯を食いしばって出勤。いつもの3倍近い時間がかかった。部位に湿布を貼ったり靴下や下着をつけたりするのなんてもってのほかで、毎度妻の介護を受ける。身体機能の低下した高齢者の気持ちが身に沁みてわかった。これだけは良い経験だった。ゆっくり歩いている人の近くを走るのはやめましょう。非常に怖い思いをしています。

「1週間ほど痛い」とはなんなのか、処方してもらった薬は切れかけ、2週間経ってもたいして改善しなかったので、別の病院に行けば、「や〜これ痛いんですよね、でもこうしておくほかないので、もう少し頑張ってください。1ヶ月は痛いですよ」と言われる。「1ヶ月?」呆然とする僕。ネットで同じ症例を見れば2、3週間入院している人がままいる。怪我をしたのは完全に自分の責任なので禍根を転嫁するのは筋違いだが、どうにも最初の医者が信用ならない…。

20日あたりから日増しに激痛が走る頻度が減り、ようやく回復している実感がでてきた。コルセットを外すとまだまだ痛むが、通勤時の杖もいらなくなり、かなり気が楽だ。つい気を抜くと雷に打たれるが、身の回りのこともほぼほぼ問題なくなってきた。

40日を過ぎた頃は痛みの感覚も遠のくほどで、コルセットをうっとおしく感じ、生活に支障はないと言われてはいるものの、骨がくっつかないというのは生理的になんとも嫌な感じなので、レントゲンを撮ってもらい経過を確認するために3度目の病院へ行く。今回の先生には、「あ〜もうだいたいくっついてますね。この隙間の薄い色しているのは骨のもとみたいなやつです。コルセット外しましょう」と言われる。安堵するとともに気になっていたことを聞く。「最初診てもらった時に、くっつかないかもしれないと言われて心配だったんですよねー」と言うと、このお医者さんは微笑をたたえながら「普通くっつきますよ」と明言する。「へ〜そうなんですね。よかったー」にこやかなテンションでそう言ったが、裏腹に僕の目は笑っていなかっただろう。

この日から凝り固まった体のリハビリを始め、徐々にストレッチで可動域を広げていった。40日使ってないとまあ固いのなんの。昔腕を骨折した際のリハビリでもそうだったのだが、少しずつ筋を伸ばす微痛には若干の開放感と多くの猜疑心が入り混じり、全体として気味の悪さがつきまとう。

怪我から2ヶ月を待たずしてクライミングジムにいく。通っていなかった期間相応の衰えと故障箇所の局所的な負荷を感じるものの概ね問題なし。7月中旬には瑞牆にも行けた。全治2カ月といったところ。それと、入ってよかった傷害保険。病院代は問題なく保険金がおりました。

骨折り損のくたびれもうけ

5月は登るぞ〜と、関西の某ボルダリングエリアで一人で登ってたら、アホな落ち方して腰付近の骨を折りました。腰椎横突起とかいう箇所です。全治一月とかかなあ。もうちょっとか。

南無

 

GWが無に帰したので溜まってた山行記録をこちらにあげています。

山行記録 | 早大山岳アルコウ会

2月 南アルプス戸台川アイスクライミング

3月 北アルプス黒部横断

3月 屋久宮之浦岳縦走 

 

暇な日曜日

昨年末から背中が痛くてクライミングはお預け。それまでほぼ毎週近くの外岩行っていた勢いはぷっつり途切れました。酷使のせいなのか、寒さのせいなのか、仕事のストレスなのか、はてまた歳のせいなのか、原因は複合的なものだろうけど、今までこんなに引きずったことはないのでとてもやるせない。

そんなわけで骨休めがてら(筋休め?)、学生時代お世話になったサークルのお手伝いとして雪訓に参加したりしているのだけど、やっぱり関西から北アルプス方面は遠いですね。こないだは五竜岳の遠見尾根に行ってきました。

これぐらいの距離大したことない人は多分にいるのもわかるが、車を所有していないゆえ、友人の住む三重県某所まで近鉄特急に揺られること2時間、そこで乗り合わせて車で4時間って僕にはきついです。帰りもあるし。

2日入山した遠見尾根は2日目の天気が素晴らしく、やや風はあったもののラッセルで汗を流す学生を近景に、鹿島槍北壁や五竜岳が凛と構えたノートレースの尾根を進む気持ちの良いものでした。冬山はいいね。もちろん僕もラッセルしますが、汗はかかないうちにさっさと交代。

普段ならもうちょいラッセル気張るのだけど、今回はやたら寒く感じて、汗冷えするのがとても嫌だった。代謝が落ちてきたのかしらと思わずにはいられない山行でした。厳冬期用の冬靴じゃないからかなあ。

 

今週は風邪をひいた。

ダメダコリャ。

無題

たいした成果もなく、誘われるままにクラックやらボルダーやらアイスやら雪稜やらスキーやらをちまちまぼちぼちやっている週末。

 

いけば存分に楽しめるので、これが身の丈にあっていると思えばそれまでなのだが、そして誘ってくれる人がいるという状況が何よりの幸いなのだが、今の追従的な、現状容認的な、流れに身をまかせる的な山を続ければ続けるほど、自己表現としてのはっきりとした目標があってこそ主体的な、研ぎ澄まされた、生の充実を感じられる山登りができる、ということが鏡に映し出され、なんとももどかしく苦々しい思いを抱くことになる。

 

「これでいいのかもしれない」「無謀なことをする時期はもう過ぎた」という意識がしばしば脳裏を行ったりきたりするようになった。(しかしかつてそんなにたいしたことはしていない。)そもそも山に自らを注ぎ込むことにどれだけの“価値”があるのだろう。死んじゃあいけない。あくまでこれは遊びだ。山を自己表現のツールにするのは危険だ。

 

イブに剔られた話

大阪に来て業務内容が変わった。

という書き出しで、ここ最近の登山のことを書き出そうかと思ったら、流れに流れて眼鏡に対する恨み辛みをつらつらと記す文に堕してしまった。

とまれ、業務内容が変わったので、念願の土日休みを手に入れた。以前とは打って変わって山に行きやすい環境に…! と思ったのは業務もまだ試運転の2ヶ月ほどで、あっという間に残業街道に突っ込んでしまい、仕事終わりにトレーニングする余力もない今日この頃。特に2月からはヤバイ。

そしてこの暖冬のせいで冬山という冬山には八ヶ岳東面の上ノ権現沢〜ツルネ東稜にアイス混じりのバリエーションしにいったきりで、その他はちょいちょいクラックにいそしんでおります。しかしなにせ単身赴任の身。3週に一回は東京と大阪とを結ぶ新幹線に身を預けているので、思うように登る、とは行きません。

こういう状況を打破しようとするモチベーションというか気力が、バリバリやる人とは決定的に違うんだなあとか思いながら、無理して火傷するのは御免だし、現状楽しめる範囲でやるほかあるまい。

 

瑞浪でのクラックでのこと。エリアに入ってすぐのところに「秀則コーナー」があり、まあきれいなコーナークラックで、決まりやすいフィンガーとステミングをちょいちょいと続ける快適なルートなわけですが、その隣にピカッっと稲妻が走ったような割れ目があります。

瑞浪での代表ルート「イブ(5.11c)」ですね。はじめて瑞浪に行ったときは、「なんじゃこれ、これ登る人いるのかしら」と思ったほど薄いフィンガーサイズのクラックが続いており、気の遠くなるような思いを抱いたわけですが、この間行ったとき「これはいけるかもしれん」と急に思いはじめ、割れ目に指を添えてみるとジャストサイズ。男性の割に指の細い、というか肉の薄い僕の指とは相性が良さそうだ、とそう思った翌日にトライしてみました。

「11cオンサイトや!」と、実績もないのになぜか調子づき、取りつくこと3メートル。垂直に立つ壁はあまり腕への負荷もなく、「おっいけるいける」とナッツをセットしつつ、両指を第二関節までいれてロックします。フットホールドも拾えないこともない大きさだし、たいしてビビリもでない。「フーッ」とホールドに足を落ち着けて、呼吸を整えたところ、バッっと急に体が落ちました。一瞬のことで四肢のどこが疎かだったのかもわからない有り様。おそらくは足が滑っただろうて、決まってた右の指手が抜け残り、一気に体重の乗った指は岩角に食い込み、アイタタタタタタタタ。皮膚を越えて僅かに肉を剔る。剔れてボリュームダウンした右人差し指はクラックから掃き出され、ようやくロープに体重が乗った。「ナッツしっかり効いててよかった…」と思うやいなや、早速指先が大変痛いので敗退。止血止血。

その後もいくつかやさしいルートに手を出してみたけど、体が落ち着かず、ここに掛けないほど散々な出来。まだまだ先は長いなあ。

眼鏡とコンタクトレンズ

大阪に来て業務内容が変わった。

デスクワークは目に悪い。これまではクリアでダイレクトな視界を手に入れられるため、平生は好んでコンタクトレンズを使用していたのだけれど、パソコンと一日中にらめっこするのには大変分が悪く、異動してからみるみる視力が落ちた。

もともとかなり目が悪い方なので、生活に影響が出るとか視力が落ちてショックだとかそういうのはとうに通り過ぎたのだけれど、不健康な現代人を象徴するかのような事態に見舞われた我が身、さすがにまずいと思い、いやいやコンタクトレンズから眼鏡に代えてはや幾数月。

しかし眼鏡はやはりしっくりこない、フレームで縁取った視界はまさに写し絵。目と世界との間に1枚挟まれたレンズは、その厚みと屈曲の分だけ僕を世界から懸け離すようで、現実と表象とを無理矢理切り分けるような抑圧的な違和感を感じずにはいられない。

見ているものはあるがままではなく、像が作るイメージであることを眼鏡をかけ続けるかぎり意識的にさせられる。主観と客観。思考と現実。ああ忌々しき二元論

 

のような考えに高校の時分より囚われ、半ば強迫的に眼鏡を悪しものと思い、コンタクトレンズに依存しているものの、この数ヶ月コンタクトレンズに比べはるかに眼の負担が少ない。びっくりするほど違う。眼の疲れが少ないと身体の疲労の蓄積も少ないのか、残業をしこしこやって遅くに帰宅してもなかなかに余裕を持った部屋生活が送れる。クライミングジムにも意欲的に行ける。

業務中は縁に閉じ込められ鬱屈した思考になりがちなのか、冴えきらないのがややキズではあるが、眼が見えなくなっては敵わぬ。背に腹は代えられぬ。少しは眼鏡を見直そうと思うようになった。

 

蜘蛛の糸でアッセンダー

9月に行った山

たてしな山

前日0時に新宿を出発し、4時にサークル所有の山小屋に到着。あろうことか寝静まった現役生に憤慨する僕を含むOB達。勝手に自己紹介を行い、たたき起こして臭い酒を飲まし、依然寝ている輩には落書きの刑を処す。晴れて現役に疎まられるOBの一員となり、8時から蓼科山に登る。風呂に入ってとんかつを食べ昼寝をしたらいい頃合いで、事故渋滞に嵌り21時に帰宅。

八ヶ岳ではちっさいヤスデが大量発生していました。人生11回分ぐらいのヤスデを見ました。7年だか8年周期で地表に出てきて生殖活動を行う、そのタイミングだったようです。

It's only Rock 'N' Roll. But I like it, like it. It's so good.....


The Rolling Stones - It's Only Rock 'N' Roll (But ...

 

おしごとの転勤があって大阪に来ました。

もう前の更新から1年以上も立っていますね。ブログ同様僕も息をしていませんでした。私生活はここ数年幸いにめまぐるしいことこの上ないのですが、山登りは窒息死寸前です。

「誰かここから掬い上げて」と金切り声で叫びたい気分ですが、自分から動かないとなにも変わらないのは世の常、絶対的真理。8.3mmぐらいのロープが垂れているのがあちこちに見える。選り好みしていたら、ゴルジュに呑まれる、雪崩に埋まる。そんな人に頼る贅沢を期待している場合ではないのでした。かといって独りで歩くのはヌメった岩溝で突っ張り、腐った残雪の上をゆくに等しい。

これまでは休みが不定期で、そんな僕に同情して(同乗して)山に付き合ってくれた、連れて行ってくれたダンディな人にたまにたまにお世話になっていましたが、この10月からガラッと環境が変わったのでどうしたものか…。むしろガラっと変わった業務で溺れそうだ。

遠ざかりすぎたのか登りたい山がよくわからなくなって久しい。

 

備忘録

クラックは5.11までうちょっとか

フェースもそんぐらいか

右膝のスジがいたい

筋トレは大事だ