無題

たいした成果もなく、誘われるままにクラックやらボルダーやらアイスやら雪稜やらスキーやらをちまちまぼちぼちやっている週末。

 

いけば存分に楽しめるので、これが身の丈にあっていると思えばそれまでなのだが、そして誘ってくれる人がいるという状況が何よりの幸いなのだが、今の追従的な、現状容認的な、流れに身をまかせる的な山を続ければ続けるほど、自己表現としてのはっきりとした目標があってこそ主体的な、研ぎ澄まされた、生の充実を感じられる山登りができる、ということが鏡に映し出され、なんとももどかしく苦々しい思いを抱くことになる。

 

「これでいいのかもしれない」「無謀なことをする時期はもう過ぎた」という意識がしばしば脳裏を行ったりきたりするようになった。(しかしかつてそんなにたいしたことはしていない。)そもそも山に自らを注ぎ込むことにどれだけの“価値”があるのだろう。死んじゃあいけない。あくまでこれは遊びだ。山を自己表現のツールにするのは危険だ。